札幌育児園

札幌育児園 100年のあゆみ

札幌育児園は明治39年1月15日札幌孤児院と称し、札幌区南5条西1丁目の小熊健次郎宅に事務所を設け、2名の孤児を預かったことに始まりますが、札幌孤児院は砂川山谷孤児院の札幌支院として、当時孤児院がなかった札幌区へ事業拡大すべく育児事業をスタートしています。

砂川山谷孤児院は明治28年に山谷源次郎氏が砂川市街地に開いた「幼児救護所」が明治34年に山谷孤児院として改称されたものです。その後、 明治35年に山谷孤児院札幌支院が南5条西1丁目に開設され、この札幌支院がさらに移転し、札幌孤児院と改称されることとなります。 札幌孤児院は当初、札幌区南7条西1丁目12、佐藤兼吉氏宅に事務所を置いて、発起人の1人である上原駒次郎氏が監督、佐藤兼吉氏が事務、経営を執る形で発足しましたが、その後新たに札幌区南5条西1丁目の小熊健次郎氏宅に事務所を定め、佐藤兼吉氏に代わって小熊健次郎氏が事務を執ることとして本格的に育児事業を開始することに至ると記録されています。(札幌育児園80周年誌『風雪の八十年』、90周年誌『札幌育児園の九十年』より)。

小熊氏宅を仮事務所として発足した札幌孤児院は、財産といえるものは全くなく資金もない無からのスタートでした。経営を支えていたものは発起人たちや札幌区民の熱意と善意による寄付金でしたが、十分な育児事業を行うには心許なく、資金作りが大きな課題でした。区内の一般同情者を毎日のように回って寄付金集めに奔走し、一方で慈善演芸家や音楽会を開催し資金造りに尽力するというように、札幌育児園創生期は苦難の道のりでした。資金造りの明け暮れの中にも収容孤児の数が増え、 個人住宅の仮事務所では狭くなり、新しい院舎の確保が必要になってきました。そうした折に、当時発起人の1人だった三島常磐氏(5代目理事長)の快諾により、 三島氏が所有していた家屋(札幌区南10条西1丁目、中島遊園地豊平川畔)が院舎移転地として提供されることになり、明治39年10月に移転することになります。 以来66年間、昭和48年1月に札幌市南区藤野の現在地に移転するまで、本園の歴史はこの地で刻まれることとなります。

札幌育児園の歴史

※クリックで年表が現れます。

明治・大正期
1906年
(明治39年)
1.15 上原駒次郎、三島常磐ら14名が発起人となり札幌区に「札幌孤児院」設立を計画、趣意書を発表。

仮事務所小熊健次郎宅(札幌区南5・西1)に、孤児2名を引き取り、小熊夫妻が院父母となり育児事業開始する。

「札幌孤児院」を正式に創設。

9. 発起人の1人である上原駒次郎を監督(現在の理事長)に選任する。

10. 育児事業を本格化するために発起人三島常磐所有の家屋(札幌区南10西1豊平川堤防の傍ら)の提供を受け、仮院舎より移転。その後、孤児院増加に伴い院舎増改築のための資金造成に努力する。
1908年
(明治41年)
2. 上原監督退任により、田中兎毛(発起人)が初代理事長に選任される。
1910年
(明治43年)
5.12 内務省の法人設立許可があり、名称も「社団法人札幌育児園」と改め再スタートする。


5.25 第1回総会開催、理事、評議員を選出。
翌26日、第1回理事会で藤井民次郎を理事長に選任する。

6.25 事業の成績佳良を認められ教育勅語謄本を下賜される。

12.28 北海道庁より初めて補助金の交付を受ける。
1912年
(明治45年〜
大正元年)
5.7 勝野智恵蔵主事園父に就任する。
1916年
(大正5年)
3.26 理事長互選で安部宇之八理事長に就任する。

11.14 有田正雄主事として入園、園父就任する。

苦難の大正時代

大正時代に入り、これまでの児童養護は慈善事業ではなく社会事業として言 い変えられるようになったが、 経営は関係者、賛助員からの醵出金や一般同情者からの寄付金、道庁、札幌区の補助金で賄われており、厳しい財政難が続いていた。慈善音楽会や演芸会の開催のよって資金作りも為されていた。

またこの時期、当時豊平川畔にあった本園敷地は洪水に見舞われ、大変な苦労を強いられた時でもあった。

そうした苦境においても本園の拡充強化は進められ、その一環として「札幌育児園月報」の発行も開始されている。

この「札幌育児園月報」は収容園児の状況報告や金品寄贈の状況、役員会や総会の模様や決定事項、毎月の収支決算報告等を多くの人々に知ってもらい、協力を求めようという目的から三代園長有田正雄氏が始めたものであるが、施設の情報を公開するという活動は今日の社会福祉法人に求められていることであり、その先進性は特筆すべきものである。

1917年
(大正6年)
1. 「札幌育児園月報」発行開始。

3.29 通常総会で理事2名増員を決議、うち1名を常務理事とし有田園父を選任する。
1922年
(大正11年)
7.29 託児所開設のための定款変更、内務省より認可される。
1924年
(大正13年)
7.13 新園舎竣工(11日)旧園舎より新園舎に移転。
1925年
(大正14年)
2.27 定期総会で理事長に古谷辰四郎を互選就任する。
昭和元年〜19年
1926年
(昭和元年)
6.25 苗穂託児所開所

多角的児童保護救済へ 〜苗穂 託児所開所〜

本園の育児事業をより充実した社会事業施設に成長させるべく大正15年6月、苗穂に「札幌育児園附属苗穂託児所」を設置した。そこでは託児事業を行い、今の時代にも通用する子育て支援を実施している。

当時託児所長には元小学校校長の手塚毅氏とその家族が嘱託し、その運営にあたっており、翌年9月からは日曜祭日も休まず託児を実施している。この託児事業は当時では革新的な社会事業であった。


8.17 本園創立20周年記念式を挙行する。
1931年
(昭和6年)
2.26 理事長に三島常盤互選就任。
1932年
(昭和7年)
4.1 天野銀市主事として入園、園父就任する。
1933年
(昭和8年)
5.5 園舎増築工事竣工。
(園児寝室ベランダ、玄関、洗濯場、乾燥室等)

5.28 新設屋外運動場開き。

12.26 道庁より「児童虐待防止法委託施設」に指定される。
1935年
(昭和10年)
7.26 園舎の増改築工事竣工。(園児便所、石炭庫、園児寝室等)
1936年
(昭和11年)
6.15 本園増改築工事竣工。(園児寝室、保母室)

6.25 本園創立30周年記念式を挙行する。
1936年
(昭和11年)
10.2 陸軍特別大演習が本道で行われ天皇陛下行幸の際、
本園に勅使御差遣される。
1937年
(昭和12年)
3.18 道庁より救護施設設置を許可される。

11.20 軍事扶助法による委託児収容開始する。
1938年
(昭和13年)
10.22 救護施設として定款を再整備し、定款変更を申請中のところ
厚生大臣より認可される
1939年
(昭和14年)
1.20 三島常磐理事長就任、後任に阿部良夫を互選、理事長に就任する。
1941年
(昭和16年)
10.10 東京で開催の第1回社会事業研究発表会で道庁長官推薦により天野主事出席「人的資源保護育成」について研究 発表を行う。
1942年
(昭和17年)
7.7 道庁より天野常務理事孤児の後見人指定を受ける。

戦後の苦境〜入所児の死を乗り越えて〜

戦前より本園の経営はその資金集めに苦心してきたが、特に戦後は衣類や食料が不足し、園児達の生活を維持することに困難を極めていた。

理事長の天野憲一は、「ある年の元旦に、ストーブの前で8歳に満たない男の子の子が栄養失調のため眠るようにして亡くなったことが今でも胸に焼きついている」と心通な面持ちで語っている。

その男児が亡くなった翌日、2人の園児と共に猛吹雪の中、亡骸をそりの乗せ焼き場へと運ぶ時に感じた無力感は筆舌に尽くし難いものだったという。

朝食を食べれば昼食はもう余裕がないという困窮を打開すべく4代目天野銀市園長は市役所へ直訴し、何とか食料を調達したこともあった。また、当時石炭の配給が現在の札幌駅付近で行われていたが、その配給を得るために、当時中島にあった園舎から配給先までそりを引き4時間かけて往復するという大変な苦労があったという。

1944年
(昭和19年)
2.26 阿部良夫理事長病気のため辞任、
小竹文次郎常務理事を理事長に互選就任。
昭和20年〜29年
1945年
(昭和20年)
9.21 恩賜財団戦災援護会道支部より戦災援護委託施設の指定を受ける。

9.25 本園創立40周年記念式典を挙行する。
1946年
(昭和21年)
5.26 道庁より児童保護施設の指定を受ける。
1947年
(昭和22年)
3.13 道庁より緊急生活援護事業施設と認められる。

10.25 道庁より生活保護法による生活保護施設の許可を受ける。
1949年
(昭和24年)
5.1 豊平町の興正保育園、本園の中の島分園として養護事業継続。

7.1 児童福祉施設として道より認可される。

新たな発展に向けて〜養護施設として認可〜

戦後、収容育児事業施設は“養護施設”と呼称されるようになった。本園も昭和24年7月に児童福祉法に基づく児童福祉施設として道から認可され、昭和27年5月には厚生省から「社会福祉法人札幌育児園」として組織変更が認可された。

また、道から養護施設設置経営主体変更の許可もおり、園児収容定員増加(70名定員から90名定員)が認められ、また1つ新たなスタートを切った。

こうした動きの一方、昭和24年5月には当時豊平町の興正保育園が本園付属中の島分園として養護事業を再スタートしている。

興正保育園は晟徳寺の住職、秦元勝氏が宗教活動の1つとして戦後孤児2名を自宅に預かり養育したのが始まりで、収容児童の拡大や経営困難といった状況から、道の承認を得て本園の分園として正式な養護施設として再出発したものである。

同分園は昭和26年12月に養護施設「興正学園」として独立発足するに至っている。


10.26 炊事室、浴室の改修及び倉庫、動物舎の新築工事竣工。
1950年
(昭和25年)
12.1 幼児舎新築工事竣工。(本園ベランダ増築工事も竣工)
1951年
(昭和26年)
3.21 理事会で古谷辰四郎理事長を互選就任する。

11.20 静養舎新築工事竣工。
1952年
(昭和27年)
5.17 厚生省より社会福祉法人として認可される。

7.24 新規購入の家屋改修工事竣工修祓式執行。(楡の寮1号、2号)

8.29 施設変更による定員増加(旧70名から90名に)が認可される。

11.2 楡の寮の寮開き、園児を収容。
1954年
(昭和29年)
8.14 豊平区に第1〜第5区分所属の旧火防番屋(9.5坪)の寄贈を受け園庭に移築、基礎工事はじめ改修増築に着 手、 寄贈の旧火防番屋の改修増築工事完了「花樺寮」と命名、修祓式執行。
昭和30年〜昭和63年
1955年
(昭和30年)
10.15 園歌(作詞天野銀市常務理事、作曲山本孝仁指導員)を制定する。
1956年
(昭和31年)
5.5 幼児舎(木造二階建て、延べ33坪375)増築竣工。

10.21 本園創立50周年記念式典を挙行する。
1963年
(昭和38年)
3.3 本園出身園児13名で「麦の会」を結成する。

「麦の会」の組織

本園から実社会へと巣立った本園出身者と本園を続けようと、有田園長時代には年に一度、本園出身者有志で謝恩会が開かれていました。

昭和38年3月には、本園出身者有志13名が「麦の会」を結成。本園との交流を深め、本園の事業に将来とも協力することを申し合わせ、年に一度、他の本園出身者や本園の園長らを招いて例会を開催してきた。

1967年
(昭和42年)
5.19 本園創立60周年記念式典を挙行する。
1972年
(昭和47年)
7.5 本園移転適地として札幌市南区藤野427山林原野24,792m2を購入する。

9.6 藤野の本園舎新築工事竣工、旧園舎より移転。


12.1 天野憲一主事、施設長に就任する。
1978年
(昭和53年)
11.8 本園創立70周年記念式典を挙行する。
1979年
(昭和54年)
5.23 園舎整備工事としてスチーム配管改修、洗濯場、乾燥室の整備、電気温水器の有効利用など実施。

10.21 正面玄関前道路敷地の砕石敷き工事実施。
1980年
(昭和55年)
7.1 ソーラーシステムを園庭に設け、省エネ実施。
1982年
(昭和57年)
6.8 古谷龍雄が理事長に就任する。
1984年
(昭和59年)
5.26 野村琢民が理事長に就任する。
1986年
(昭和61年)
7.6 本園ボーイスカウト札幌第21団児童は、天皇陛下在位60年奉祝パレードに参加する。

「ボーイスカウト札幌21団」結成

園児の日常生活に積極的に取り組む姿勢や自発的なグループ活動への参加、 奉仕の精神や規律を守る心を育むことを意図して、昭和44年4月、小学校高学年以上の児童を対象としたボーイスカウトが本園に結成され、名称は「ボーイスカウト札幌第21団」とされた。

赤い羽根の募金等街頭募金活動に協力することをはじめ冬季札幌オリンピックでは国旗掲揚に奉仕してもいる。

また、鼓隊をもち、毎年、札幌市音楽祭や四丁目プラムナードパレード、真駒内公園での南区納涼祭、交通安全パレードなど各種行事に参加している。特に、昭和52年にはボーイスカウト施設隊のスキー記録会距離競技に出場し、5年生級で1、2位、6年生級で3位、中学生においては1、2、3年生級とも1位から3位までを独占するという素晴らしい成績をおさめた。


10.11 本園創立80周年記念式典を挙行する。

1988年
(昭和63年)
11.6 本園体育館の落成式典を催す。


11.28 非常通報装置の設備工事完了。
平成元年〜
1990年
(平成2年)
5.25 園舎間電話機の新規購入設置。

9.29 園舎管理棟一部屋根張替工事実施。
1991年
(平成3年)
12.25 非常放送設備を新規購入設置。
1992年
(平成4年)
5.28 南区土木部経由でアイケン工業によりグラウンドを整備。
1994年
(平成6年)
4. 北海道養護施設ケア基準遵守。
1995年
(平成7年)
4. ケア基準の遵守システムとしてモニター制を導入する。

子ども権利擁護の躍進
〜「不服申し立て制度」導入と審査委員会制への発展〜

児童養護施設では、長い間、大人と子どもの関係でサービスを提供する意識が強かったが、1994年、 北海道でケア基準が策定されたことによりその体質を変える転機となった。

ケア基準の実効性を高めるために、当施設では全国に先駆け、独自に「不服申し立て制度」の導入を行った。

導入時点での「不服申し立て制度」の内容は、ケア基準の遵守に関する子どもからの不服について、その内容と処理過程を記録し、法人理事に不服の処理について意見をしてもらう「モニター制」の形態を取った。

この取り組みは、サービスの実態が経営母体に明らかにされることによる援助者への規制や、モニターからの意見が援助者への適切な助言となるなど、一定の効果をもたらした。

その後、この制度を単なるケア基準の遵守システムとしてではなく、利用者の権利擁護のためのシステムとして発展させようと制度内容の見直しが図られ、「審査委員会制」を導入した。

この制度は、弁護士、医師、学識経験者、法人理事、職員で構成される審査委員会に、入所児童とその保護者などは不服について直接申し立てをすることができ、施設で処理された不服に関しても、不服の内容とその処理過程についての記録を審査委員会に開示し審査するものであり、以前の「モニター制」よりもさらに公正さの向上が図られた。

また、児童養護施設のような居住型施設においては(苦情・不服の発生とその処理が生活と一体化していることから)利用者の声が埋もれやすかったり、サービス提供の様子が見えにくいことや、入所児童の年齢や発達などの個人差から利用者自らがサービスについての申し立てがしにくい面があった。

そこで、援助者側が利用者の声を積極的に不服として処理し、その記録を開示することで自らに規制をかけることを基本とした「積極的権利擁護」の姿勢で対応するとともに、子どもの声が一番反映される「子ども自治会」も審査対象に加えた。

また、審査過程で児童福祉に関する分野の専門家から適切なアドバイスが受けられる「コンサルテーション機能」も持ち合わせている。

この実践をもとに、札幌児童養護施設研究所では、権利擁護システムとして不服申し立て審査委員会制度「しゃべるべ」の導入に至った。


9.10 本園創立90周年記念式典を挙行する。
1996年
(平成8年)

札幌市からの委託事業としてショートステイ事業を開始する。
1997年
(平成9年)
5.26 天野憲一、理事長に就任する。
1998年
(平成10年)

苦情解決システム構築。
2000年
(平成12年)
6.30 幼児棟の改修工事が終了する。

9. 当園の苦情解決システムが札幌児童養護施設研究会の苦情解決システム<しゃべるべ>の母体として移行する。
2002年
(平成14年)
4.1 千葉徹、施設長に就任する。

7.1 管理棟1階、および来賓トイレ、玄関等の改修工事を行う。

2003年
(平成15年)
5.20 学童居室の改修工事を行う。
住所呼称変更に伴い、土地が取得される。
2004年
(平成16年)
4.27 学童棟洗面所、トイレの改修工事を行う。

5.24 学童棟廊下改修工事、玄関に自動ドア、電気錠を設置する。

5.28 玄関監視カメラの取り付け工事を行う。

9.8 台風18号により屋根の損壊、倒木等、甚大な被害を受ける。

10.8 小規模グループケア施設の改修工事が終了する。

2005年
(平成17年)
1.10
〜13
札幌育児園100周年記念行事。(東京ディズニーリゾート)

子どもの声を現実に〜夢のディズニーランドへ〜

「○○ちゃん、夏休みにディズニーランドに行ってきたんだって」

「△△ちゃんも行ってきたんだって」

「ふ〜ん」

・・・2学期の始業式から帰ってきた小学生の話である。

どうやら子どもたちは学校の友達の話題についていけなかったようである。

1人の子が「ディズニーランドに行けたらいいね」と言ったが、叶うはずもない夢のような話に子どもたちの話題は別なものへと変わってしまった。

そしてあれから10年、何とか子どもたちの夢を叶えたいという思いが現実のものとなった。

総勢75名、2泊3日のディズニーランドの夢の世界は、子どもたちにとって忘れられない思い出となった。


4.26 浴室、食堂の改修工事を行う。

2006年
(平成18年)
6.30 学童棟、幼児棟の暖房設備の改修工事を行う。
2006年
(平成18年)
10.21 100周年記念式典を挙行する。
2007年
(平成19年)
6.22 玄関前舗装工事を行う。
2007年
(平成19年)
6.30 管理棟暖房設備更新工事を行う。
2008年
(平成20年)
11.18 ユニット棟屋根改修工事を行う。
2009年
(平成21年)
8.21 施設耐震診断を行う。
2009年
(平成21年)
12.24 ユニット棟外装等改修工事を行う。
2010年
(平成22年)
1.8
〜10
第2回東京ディズニーリゾート旅行。

2010年
(平成22年)
1.8 児童家庭支援センター新設工事着工。
2010年
(平成22年)
4.1 児童家庭支援センター「札幌南こども家庭支援センター」開設。
2011年
(平成23年)
1.26 児童養護施設札幌育児園本館耐震改修工事終了。

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